生活=生きる活動

無限に寝られるようになった無職は無限に寝てはいけないのである。

byじぶん

名言風の書き出しをしてみたかったのだ。

子供の頃に、歯を磨きなさいとか早く寝なさいとか挨拶をしなさいとか結構よく言われてそのたびに「うっせーな」と思っていたのだけども、いざ無職(風来坊です)になってみると、この大切さがよくわかった。

この習慣はもちろん学校、会社だったりつまりは外的な制約がある時も勿論大事なんだけれども、無職化(何の制約もなくなった時)すると、それが社会的ではなく己自身が人間的であるために非常に大切になってくるんだと思う。

一応、現在人類には時間なる客観的な指標があって、例えばそれは一年、一ヶ月、一週間、一日、二十四時間etcがあるんだけれども、そこには個別の意味は伴っていなくて、以前としてのっぺりとした膨大な塊なわけです。

想像してみてほしいのだけれど、全裸で草原に投げ出されたとして。ほんと途方に暮れちゃいませんか?

これに対処するためには最低限24時間という膨大な塊を少なくとも部分部分で分けることが出来るのが要は「生活」なわけです。

 

生活:歯を磨く、シャワーを浴びる、寝る、料理をする、食事をする、走る…etc

 

すごく当たり前のことかもしれれないけれど逆説的に生活があるからこそ人間になるといいますが、シェアハウスに来た当初は結構寝てばかりで、苦しい感じだったんだけど。そんな風にダメになっていく自分をぼーっと観察しながら色々と思っていたわけです。要は生活的考え無しに寝ることはいわば擬似的な死なわけで、そりゃ苦しいよねって

「生活」って「存在」みたいな用語めいてるけど改めて考え直すと

要は「生きる活動」なんですよね。はんぱねえ。

 

ここまで言っといて何ですけど、やっぱり無限に寝たい時があると言えばあるので寝ます笑

まあその時は仕方ない。でもそういう気分の時って何か肉体的、心理的問題があることがほとんどだよね。