年を取るごとにそれぞれの季節のイベントが薄れゆく。
小学生の頃にはあれだけ待ち遠しかった夏休みも働き始めればその長さも短く、
結局のところスーツが汗ばむだけのげんなりする季節へと変化する。
心待ちにしていたサンタクロースの季節も今では赤い服を着た人の真実の姿に気がつき、彩られる街々にも資本主義の匂いを感じるようにもなっている。
年を経るごとにライフイベントをこなす毎にものの感じ方は変わってくる。
けれどもどうしてだが年末の感覚だけはいつまでも変わらない。
年末は師走の半ば頃からクリスマスのムードの影に隠れて少しづつ準備を整えている。
彼らは姿を中々には見せない時折、納期、忘年会、カレンダーなんかに時折尻尾を出しはすれども表だっては姿を見せないしそれに年末がちらついても帰路についてしまえば街々のイルミネーションがそびえたつツリーの装飾があまねく街々を光で照らしその華やかさなムードでそれをかき消してしまう。
イブの終わりに差しかかる頃なると年末感は待ってましたとばかりに顔を出す。
街の所々に謹賀新年のポスターがオフィス街の自動ドアの傍らには、
「前からいましたよ?」と言わんばかりの顔をした門松がいつの間にか置かれている。
そして売れ残ったチキンが半額になり始める頃には、
もうクリスマスは過去のものになって街は年末の空気に包まれている。
「ああ今年も一年が終わるんだ」
始まりのシグナルであるはずの正月道具に感じる終わりのシグナル。
物語の季節が終わりを告げてしまって僕らに共通なものなんて始まりと終わり、
とりわけこの終わる瀬戸際を振り返ることぐらいなんだろうなと思う。
この感覚だけは幼少期の頃と何も変わりがない。
商店街の門松の上に乱雑に乗せられた役目を終えたサンタ帽を横目にみる。
年々加速してゆくこの年末の中でもう残り少ない日数を指折り数えながら
終わりを迎えつつある今年という季節に想いを馳せたりしていた。